Ryi’s bike & run

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山本KID選手

山本KID選手の特別ファンということではなかったが、彼の死が思いのほか自分の中に響いている。

どうしてここまで響くのだろうと考えていて、そういえば僕の人生の一時期に間接的ながら彼の人生とリンクした瞬間があったことを思い出した。

僕は10代の終わりから20代前半にかけて修斗という総合格闘技のアマチュア選手をやっていた。僕が通っていたのは木口道場というところで、アルバイトが終わったあとにスクーターに乗ってそこに行き、汗を流していたのだった。

ある日練習試合のために、いつも練習している鶴川の道場ではなく「こどもの国」駅の近くにある別の道場に行くことになった。普段その場所では総合格闘技ではなく、レスリングをメインに教えているとのことだった。確か8月のえらく暑い日で、電車を降りて歩き、緑に囲まれた意外に小ぶりな道場に着くと、中では10数人の子供や大人がレスリングの練習していた。

その中にひとり、明らかにほかとは違うオーラを放つ、ものすごく可愛い女の子がいた。

レスリングの動きがどうこうというより、とにかくその子の可愛さに驚いたように思う。まるでモノクロの映像の中でその子だけはっきりと色がついているような感じで、芸能人か誰かだろうかと思ったくらいだった。

「あの子は山本聖子といって、レスリングも物凄く強いんだぜ」と、そばにいた練習仲間が教えてくれた。

そしてなんでそうなったのか忘れたが、僕は試合の前に爪を切っておこうと思い、どういうわけかその可愛い子から爪切りを借りたのだった。使い終わって返しにいって「ありがとうございます」と声をかけたとき、横の誰かと話をしていた彼女がちょっと驚いた顔をしてこっちを見たあとに、すごく礼儀正しい態度で爪切りを受け取ったのを覚えている。

僕はドキドキしながら、この子は自分にはどうやったって手が届かない次元にいるのだろうと思った。僕は20歳で、彼女はそのときまだ16歳とかだったと思う。

ちなみに僕はその日におこなわれた試合で相手の膝を顔面に食らって骨折し救急車で運ばれたのだが、それはまた別の話。

そして話は少し遡る。

修斗の道場に入門したあとに、僕に最初にレスリングを教えてくれたのが勝田君という選手だった。彼はアニメが好きで、当時レンタルビデオ屋でバイトしていた僕が彼にいくつかのアニメ映画をダビングして渡してあげたことから仲良くなったのだった。

勝田君は当時日体大レスリングを学んでいて、彼は僕に組んだときの崩し方や腕の裁き方などを丁寧に教えてくれた。当然だが僕は勝田君にレスリングでまったく歯が立たず、技術というのはすごいものだと知ったのだった。

しかし勝田君はやがて道場の先生とそりが合わなくなり、別のジムへ移ることになった。「一緒にこないか」と誘われたが、僕はその先生が結構好きだったので断り、それっきり彼と練習する機会はなくなった。

その後勝田君はプロデビューし、数年後に同じくレスリングを得意とする選手と対戦することになった。当時僕はすでに修斗をやめていたが、格闘技雑誌の記事で勝田君が失神KOされたこと、そして相手の選手は勝田君が失神したあとも殴り続けて厳重処分を下されたことを知った。

あとで映像も見たが、相手の選手は失神した勝田君を笑いながら殴り続けていた。ひでえやつだ、と思いつつ、同時にその異質な野獣性とでもいうべきものに戦慄を覚え、これはとんでもない選手が出てきたに違いないと思った。それが山本KID徳郁の存在を知った瞬間で、のちに彼が爪切りを借りたあの可愛い女の子の兄であることを知った。

その後彼は周知の通りK-1などの参戦を通してスターになっていったが、勝田君にやったことの印象が強かったのか、僕はどうしても彼をそこまで好きになれなかった気がする。でも死んでしまって初めて、実は僕は思いのほか彼のことを気にしていたのかもしれないと思った。

彼は僕と同じ年だった。爪切りのエピソードなんてもう何年も忘れていたのに、彼の死の報を受けて、僕は20年前の夏を思い出し、それから流れた年月を思った。彼の死が切ない理由のひとつはまったく個人的なことで、ああした時間がもう取り戻しようもない、遠い昔のことになってしまったことを、知らされた気がするからだ。

号泣するような悲しさではなく、ただ静かにずんと重く、悲しい。吐き出せばこの重さが少しは取れるのだろうかと、書いてみた。僕は自分が諦めた人生の続きを、どこかで同じ年の彼の中に見ていたのだろうか。彼の死と共に、自分の中のなにかが終わりを迎えたような感じがした。