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アメリカの白人最速マラソンランナーが引退



アメリカのマラソンランナーで、2時間4分58秒(参考記録)の自己ベストを持つランナー、ライアン・ホールが今年の夏のオリンピックのトライアルを前にして突如引退を表明したという記事が出ていた。

Ryan Hall, America's Fastest Marahoner, Is Retiring

"アメリカの最速マラソンランナー、ライアン・ホールが引退へ"

http://www.nytimes.com/2016/01/17/sports/ryan-hall-fastest-us-distance-runner-is-retiring.html?ref=sports

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⇧この後、記事の題名が
His Strength Sapped, Top Marathoner Ryan Hall Decided to Stop

"力の衰弱により、トップマラソンランナーであるライアン・ホールが引退を決断"

に変更されていました。おそらく「アメリカの最速マラソンランナー」という表現が原因だったのではないかと推測します。僕自身この表現はたして適切だろうかと思い、こちらの見出しでは「アメリカの白人最速マラソンランナー」としたのですが、やはり誤解を招くという指摘でも入ったのかもしれません。
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ホールの引退の理由は激しいトレーニングによるテストステロンレベルの低下で、最近では1週間で12マイル(約19キロ)を走るだけでも激しい疲労を感じるようになっていたという。

ホールはそのストイックな練習方法で知られており、標高約2700メートルの山から11キロを駆け下りてさらにそれを走って登り直すといった激しい追い込み型のトレーニングを行うなどして、全米でもトップクラスのマラソンランナーとなった。

『Born to Run』の著者クリストファー・マクドゥーガルは、アメリカ人ランナーは前世紀に比べて随分遅くなってしまったと書いた。その原因はトレーニング方法やランナーのメンタリティの変化、そして走法にあると分析していたが、純粋なアメリカ育ちで白人のホールはその傾向にひとり異を唱えた存在だったようにも思う。

彼が2011年のボストンマラソンで出した2時間4分58秒というタイムは国際的な記録としては認知されていない。下り坂の多いボストンマラソンは高速タイムが出やすいコースで、公式記録を測定するコースとして認定されていないからだ。このときホールはこのタイムで走りながら4位に終わっている。優勝したのはケニアのジョフリー・ムタイで、追い風の力も借りながら2時間3分2秒という当時の非公式世界記録を出している。

(ちなみにアメリカ国内においてこのボストンマラソンのタイムというのは限りなく公式に近い記録として認識されている印象があり、ニューヨークマラソンほかその他のマラソン中継を見ていてもボストンの記録が自己ベストとして紹介されていたりする)

ホールの国際的に認められている自己ベストは2008年にロンドンで記録した2時間6分17秒で、アメリカ人としては現在歴代2位の記録となっている。歴代1位はモロッコからアメリカに帰化したアーリド・ハヌーシが2002年にロンドンで記録した2時間5分38秒だ。ちなみにホールの記録2時間6分17秒というのは、日本人男性が樹立した歴代最高記録である2時間6分16秒(2002年 / 高岡寿成)と1秒違いとなる。

ホールは現在33歳で、夏のオリンピックの候補者として期待されていたが、本人の身体はそこに向かっての追い込みに耐えられるだけの力を残していなかったようだ。

ホールは引退を決めた理由を次のように説明している。

“Up to this point, I always believed my best races were still ahead of me,”
I’ve explored every issue to get back to the level I’ve been at, and my body is not responding.”

「今の今まで、僕は自分にとっての最高のレースはまだ先にあると思っていた。あらゆる分析をして自分のレベルをもとに戻そうとしたが、身体が反応してくれなかった」

ホールは大学を卒業してプロになった頃から自分のテストステロンのレベルの低さに気づいていたという。彼の場合は健康面の理由から薬を使ってそのレベルを上昇させることが許可される可能性があったというが、副作用(依存症と生殖機能の低下)と倫理的な懸念からそれを拒否してきたという。そして自然療法や食事の研究、体重の軽量化などを試してきたが、その値はついに戻らなかった。

激しいトレーニングを行えば、テストステロンを含む男性ホルモンの値は低下する。しかしトレーニング量を調整するのではなく、ホールのチームメイトが言うところの「自分の鎧に大きく開いた隙間に剣が入り込まないことを祈る」、つまりある種の「賭け」に出た彼は、ひたすら走りこむことで自らの限界を引き上げようとした。

“When I was getting into the sport, jumping into the marathon, people told me to wait and hold out, I needed to work up to it,” he said. “I said: ‘Whatever, that’s not true. I’ve been running 100 miles a week since I was 17, in high school, and I’m ready.’ But training at that level for so long takes a toll on your body for sure.”

「マラソンに参戦しようとしたとき、周囲にはもう少し準備をしてからにしろと言われた。だから言ったんだ。"僕は17歳のときから週に100マイルを走ってきた。準備はできている"とね。ただそうしたレベルのトレーニングを長く続けていれば、確実に身体を痛めることにもなる」

このニューヨークタイムズの記者はホールのその姿勢について、次のような問いを投げかけている。

ホールの過激なアプローチが彼のパフォーマンスを助けたのか、それとも仇となったのかは確かめようがない。もし彼がそこまで身体を追い込むようなトレーニング方法をしていなければ、彼はもっと速く走れていただろうか? それともそのようにトレーニングをしなければ、自分のピークに達することはできなかったのだろうか? いずれにせよ、彼が東アフリカ勢に占拠されたマラソン界で、競う立場を手にすることができた数少ないアメリカ人だったことに変わりはない。

この記者が言う「東アフリカ勢」のランナーたちについて、しかしホールはこのように言う。

"...I don’t see any difference between them and me. White people can race Africans.”

「僕は彼らと自分の間にいかなる違いがあるとも思わない。白人だってアフリカ人とレースで戦うことはできるんだ」


ホールは昨年10月、エチオピアの孤児院にいた4人の子供を養子にした。同じく一流のランナーである妻のサラと共にエチオピアでトレーニングをした際に知り合った子供たちだという。これからは妻や他の選手のコーチとして、そして父としての生活を第一に考えて暮らしていきたいとホールは語る。

記事によればアメリカには有望な若手マラソンランナーが育っておらず、ホールの引退により今度のオリンピックトライアルにおける最有望株は現在40歳のメブ・ケフレジギ(エチオピア出身)になるだろうと言う。

とにかく練習し、走りこんだものが強くなるのか、休息とのバランスを考えて適度の調整を加えて走りこんだほうが結果的に強くなるのか、マラソンの永遠のテーマとも言えるが、ホールのキャリアは前者の道を選んだ者のひとつの結果をあらわしているようにも見える。

個人的には一万メートルの全米記録保持者であるゲーレン・ラップがマラソンに転向してくれないかと思っているのだけれど、日本と同じくアメリカのマラソン界の苦闘時代はまだ続きそうだ。