Ryi’s bike & run

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続・クリス・フルームの自伝 ~ウィギンスとチームスカイ~


 数か月前に読み始めたクリス・フルームの自伝(The Climb)が、まだ最後まで読み終わらない。ただ、ようやく終盤までは来た。
 時間がかかってしまっている理由はいくつかあるのだけれど、その最大の原因はあるときからページがなかなか進まなくなってしまったことだ。
 アフリカ時代を語っていたときは無邪気さとおおらかさを感じさせていたフルームだが、ヨーロッパのレースで少しずつ実績を残し、やがてチームスカイへと加入すると、次第にその自我とプライドを言葉の端々ににじませるようになる。
 とりわけチームのエースであるブラッドリー・ウィギンスに対する嫉妬ともとれるような言及は執拗なほどであり、正直読んでいてきつくなることが度々あった。
 なぜブラッドだけが……なぜ皆俺を認めてくれない……
 思うように結果が出ない中でも、トレーニング時にはじき出したタイムやワット数などによって自分の力に自信を得たフルームは、自分はエースであるウィギンスに劣ることのない力を持っていると信じるようになる。
 自分が認められないフラストレーションはチームスカイのフロントにも向けられ、ウィギンス中心で組み立てられているチーム体系を彼は次のような言葉で語る。

……チームスカイではほとんどのことがうまくいっていたが、最初に立てられたプランはどこまでいっても変わることはなかった。特にそれがブラッドが絡んだプランならなおさらだった。彼はチームの上層部にいる人々との付き合いが長く、彼らとの間に友情を築いていた。つまりそういうことなのだ。

 さらにフルームのキャリアにとって大きな転機となったブエルタ・ア・エスパーニャでのリーダージャージ獲得の翌日、彼はさらにはっきりとチームの方針に対する疑義を言葉にしていく。
 レース前に行われたチームミーティングの中で、スタッフは前日のタイムトライアルにおけるフルームの走りについて次のように言及する。

「まったく最高の状態だな。総合順位の1位と3位にチームスカイのメンバーが入っているなんて。クリス、素晴らしいライドだったな! お前のどこにそんな力があったのか知らないが、とにかくお前はリーダージャージを手にした。大したもんだ」
 みんなが小さく笑い、僕も笑った。

 さらにミーティングは次のように進んでいく。

「それでは今日のステージの話に入ろう。このコースではこの区間に登りがある。いつも通りチームで集団の先頭を走れ。登りに入ったらまずシャビが引き、続いてトーマス、ダリオ、モリス、それからフルーミー*、そして最後にブラッドだ」
 僕はなにも言わなかった。ただ一瞬思考が停まり、それからこのように考えた。
 待ってくれ、順番が逆じゃないのか? ブラッド、それからフルーミーの間違いじゃないのか?
 違うのか?
 なるほど。僕はブラッドのためにここにおり、それがチームスカイというわけだ。これがあるべき姿ってわけだ。リーダージャージを着ているのは僕でも、状況はなにも変わっちゃいなかった。サンチョ・パンサは身の程をわきまえろということだ。

*フルーミー=フルームのチーム内でのあだ名

 自転車ロードレースでは風の抵抗を激しく受ける。
 風を受けて先頭を走る選手が100パーセントの力で走るとしたら、その後ろについて走る選手は70パーセントほどの力でついていくことが可能だとも言われている。
 もちろんこの比率は平地や登り坂によって変わるのだが、後ろについている選手のほうが力をセーブできることに変わりはない。だからチームの中にはアシストまたはドメスティックと呼ばれる選手たちがおり、率先して風除けになることでもっとも力があるとされているエースをレースの終盤までできる限り風の抵抗から守ろうとする。アシストたちにはもともと勝つことが求められていない。とにかく自分の力が尽きるまで一生懸命前で引くことが彼らの使命なのだ。
 エースはそういう意味では楽ができるとも言えるが、しっかり力を蓄えて最後で勝利または上位タイムをもぎ取らなければならないので、その責任は誰よりも大きい。自分の順位を犠牲にしたアシストたちに、チームとしての結果をもたらすことのできないエースは、遅かれ早かれエースとしての信頼を失うことになるからだ。

 ミーティングにおいてスタッフが発した選手の順番は、多少の前後はあるものの大まかにおいてチーム内でのヒエラルキーを意味している。まずシャビ(シャビエル・サンディオ)が先頭で風を受けて仲間を引き、ウィギンスは最後に控える。つまりチームが一番大事にすべき選手はウィギンスであり、フルームはその次、ということになる。リーダージャージを着て総合順位のトップにいるのは自分なのに、なぜ自分が最後でないのか、フルームが苛立ったのはそういうことだった。
「どこにそんな力があったのか知らないが……」というスタッフの言葉からは、この時点でチームがフルームの力を信用しきっていないことがうかがえる。昨日はたまたまいい走りをしたが、いずれボロが出て順位を落とすだろう。そんな不安定な選手のためにアシストを使い、ウィギンスを犠牲にすることはない……チームの見解としてはきっとそんなところだったのだろう。
 
 結局このブエルタでフルームはウィギンスのアシストという立場を守り、総合順位をひとつ落として2位で全21ステージを終える。優勝したのはスペインのコーボであり、フルームのアシストを受けたウィギンスは順位を上げることができず3位に終わった。
 このブエルタにおけるチームスカイの戦略はベストであったかは別にしても、妥当なものではあったように思う。ウィギンスに比べるとフルームには大レースにおける実績がほとんどなく、ものすごくいい走りをしたかと思えば、次の日に大失速して戦線から離脱していくといったことを繰り返していた。そのことはフルーム自身も認めており、これ以前のレースの描写ではどういうわけか自分には好不調の波が激しい、といったことを語っている。このミーティング前後で語られる、フルームの周囲にいる人々の描写を読んでいても、フルームがブエルタで総合優勝できる可能性があると本気で考えていたのは、(彼の家族などを抜きにすれば)あるいはフルームだけだったのではないかという印象を受ける。
 信頼とは徐々に作られていくものだ。結果を出すことで少しずつ、周囲の見方が自然に変わっていくものであり、自分から他者に強制するものではない。ウィギンスにはそれまでのレースで築いた信頼があり、フルームにはなかった。確かにフルームにはこの2011年のブエルタに勝利する可能性があったかもしれないし、あるいはチームスカイはその勝利に向かう道を見誤ったかもしれない。しかしそれはあとから言えることでもあって、自分を認めないチームやウィギンスに対する彼の恨み節は、やや行き過ぎているように感じた。

 ただこの翌年の2012年のツール・ド・フランスに関して言えば、多少その受け取り方も複雑なものになる。
 ブエルタで総合2位という実績を手にしたフルームは、サクソバンクやガーミン、アスタナといった名門チームへの移籍も検討するが、結局はチームスカイに残る道を選択する。フルームの言葉によれば、これらのチームへ移籍しなかった理由は言葉の壁(アスタナ=チームの母体言語がロシア語)と、ドーピングに対する警戒心(サクソバンク=オーナーであるビャルヌ・リースが現役時代にドーピングに染まっていた)などが大きかったという。
 チームスカイと2012年の契約を結ぶ際に、フルームはチームがウィギンスとフルームの2枚看板で行くことを了承したと言う。
 チームオーナーのデヴィッド・ブレイスルフォードとかわした会話を、フルームはこのように回想する。

 僕が覚えているのは彼がこう言っていたということだ。
「もし君がチームに残るのであれば、基本的に我々は君のツール・ド・フランス出場と、総合順位を争って走れる立場を保証する」
 あとになって考えてみれば、デヴィッドはうまいように言ったものだと思う。僕は彼が僕のツール・ド・フランス出場を許可し、勝ちにいってもいいと言ってくれたものだと思った。しかし彼はそうはっきりと言ったわけではなかった。代わりに彼は2人の男が総合順位を目指して走り、1人が正リーダー、そしてもう1人がそのバックアップとして走ると言ったのだ。そしてもし正リーダーに何かがあれば、2人目の男がその役割を引き継ぐと。

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 ならばこの「何かがあれば」とは、いったいどんな場合を指すのか?
 ウィギンスが落車してリタイアした場合を指すのか、それとも調子が上がらず順位を大きく落とした場合を指すのか。
 たとえば重要な局面でウィギンスの足がなくなって遅れた場合は、その「何か」ではないのか?
 ブレイスルフォードのこの曖昧な約束と、フルームの希望を含んだ思い込みが、将来的にフルームのフラストレーションをさらにかきたてることとなる。

 2012年のツール・ド・フランスで、僕にとって、いやおそらく多くのサイクルロードレースファンにとって強く印象に残っているシーンがある。
 それはある山岳ステージで、フルームとウィギンスが先行する選手を2人で追っている局面だった。きつい勾配の坂道をフルームが前を走ってウィギンスを引き、フルームは何度もウィギンスのほうを振り返っては、彼を鼓舞するように言葉を発している。
<カモン、ブラッド! 力を振り絞ってついてこい!>
 そんなことを言っているように見えた。
 ウィギンスはポーカーフェースを貫いていたが、かなり疲労していることがうかがえた。それに対しフルームは自分には力が有り余っているとでも言うように、きびきびと体を揺らしながら登っていく。そしていささか大袈裟にも見えるジェスチャーを混ぜながらウィギンスに声をかけ続ける。それはまるで、俺はまだまだ元気だぞ、一体エースはどっちだ、そう表現しているようにも見えた。
 僕はその様子を映像で見たとき、フルームというのはあまり性格のいい男ではなさそうだな、と思った。ウィギンスを励ますのであれば、静かに声をかければよいだけであって、これではまるでエースが疲れていることを強調し、彼に恥をかかせているようなものではないか。これはフルームの外に向けたアピールだろうと、そのように感じたのだ。僕のフルームに対するイメージの根本はこのときに作られたといっていい。
 しかし本を読んでいくと、このときのフルームの行動を引き起こす種が、契約の時点ですでにまかれていたことがわかる。

 ブレイスルフォードとかわした会話によって、自分が2012年のツール・ド・フランスを獲りにいく資格を得たと信じていたフルームは、やがて実際の状況が自分の想定と違っていることに気づき始める。

 世界選手権が終わって数日がたった頃、ブラッドが来年のツールを勝ちにいくという、自分の決意表明を発表した。そのことを聞いたとき僕はトレーニングの最中だったが、すぐに兄のジョノが電話してきた。
「ブラッドリー・ウィギンスはいったいなにを考えているんだ? ブレイスルフォードはお前もツールを勝ちにいっていいと同意したんじゃなかったのか? ブラッドはまるで自分だけがチームスカイの中でツールを狙う選手であるかのように語っていたぞ」
 ジョノは腹を立てており、僕も腹を立てていた。確かにブラッドは自分こそがツールを狙うチームスカイのリーダーであるかのように話していた。僕はデヴィッドに電話をかけた。
「話したことと違うじゃないか。僕にもツールを狙う資格があると同意し合ったじゃないか」
「ああ、わかっているさ。こいつは君のツール勝利への道を妨げるものじゃない。前にも説明した通り、我々は2本柱で総合順位を狙う。プランAがうまくいかなかったらプランBというわけさ」

 こうしたやり取りを経て、ウィギンスとの間には明らかな溝ができていったことをフルームは隠さない。

 ……ブラッドもまたミランにいた。もともと僕らはそれほど親しいわけではなかったが、以前には存在しなかった緊張がお互いの間に生まれていた。
 今では僕らは、お互いを戦う相手として意識するに足る理由を持つようになったのだ。
 契約のインクも乾ききらぬうちに、僕は自分のポジションに確信を持てなくなっていた。サラリーの面では素晴らしい条件を得ることができたが、チームはそのことで僕がすっかり満足していると思っているように感じられた。なんでも好きなことを望むがいいさ、フルーミー。それがブラッドの望まないことでない限りはな……と。

 フルームは現在もチームスカイに所属している。
 こんなに書いてチームとの関係は大丈夫だったのだろうかと心配にもなるが、この後もフルームのウィギンスとチームに対する恨み節は続いていく。
 ただ彼はウィギンスのことを人間としてはそれほど嫌っていなかったようにも思える。時折語られる彼のウィギンスに関する人物評の中では、ウィギンスのユーモラスな面なども語られ、それは読む者にウィギンスの魅力と頭の良さを感じさせる。ウィギンスはものすごく無口な男だった(あるいは少なくともフルームに対しては)ようで、心のうちをさらけ出して話し合うといったことをまずしないタイプだったため、それが2人の溝を拡大させていったところもあるのかもしれない。このあたりはウィギンスから見たフルーム評も読んでみたい。

 結果的に2012年のツール・ド・フランスはフルームの希望とは裏腹に、ウィギンスをエースとした体制で進んでいく。それに対しフルームはことあるごとに不満をもらし、山岳ステージとなった第11ステージではウィギンスを後方に置き去りにしてゴールしたりと、マスコミやファンの間に彼らの確執を憶測させるような話題を振りまいていく。
 チームスタッフやオーナーにその行動をとがめられ、気まずくなっていくチームの空気の中で不満を抱えながらアシストの役割を行い続けるフルームだったが、ステージ間の休息日にウィギンスとの間でこんな出来事が発生する。

 僕らはいつも通りチームで休息日のライドに出かけた。妙な雰囲気だった。そこには高揚感もなく、僕らが成し遂げつつあることに対する達成感もなかった。
 ただあるとき、ブラッドと一緒に並んで走る時間があった。そのとき彼は僕のほうを見て、こう言ったのだ。
「いいか、フルーミー。心配することはない。お前の番は必ず来る。俺たちは来年もここに戻り、そのときは俺たちみんながお前のために走ることになる」
 僕は彼のほうをちらりと見た。俺はこんな経験は二度としたくないと、彼はそう言っているようにも見えた。(中略)僕は彼の言葉に感謝した。それは普段のブラッドなら言わないような言葉だった。

 ウィギンスがこの言葉を本心から言ったのか、自分のツール制覇をかき乱すフルームを抑えるために行った空約束だったのか、本当のところはわからない。おそらく本当のところは本人にしかわからないだろう。フルームが様々な思いを抱えてツールを走っていたように、ウィギンスにもいろいろと思うところはあったはずだ。

 2012年のツール・ド・フランスは、ブラッドリー・ウィギンスが英国人として初のツール・ド・フランス制覇という偉業を成し遂げ、ウィギンスは英国の英雄となった。
 フルームは全体的に見ればアシストとしての役割を果たしたといってよく、ウィギンスに続く総合2位でツール・ド・フランスを終えた。

 そしてフルームにとって運命の年となる、2013年のツール・ド・フランスがやってくる。とはいえ、この先はまだ読んでいない。
 途中の恨み節を読むのがつらくて何度か中断したりしていたが、今はこのまま最後まで読み切り、フルームに対してポジティブな気持ちを持って読了できることを願っている。

 ツールの前月となる6月、フルームはランス・アームストロングが登坂トレーニングを行っていたことで有名なコル・デ・ラ・マドンというフランスの山に行き、ランスが打ち立てた登坂レコードである29分33秒に36秒遅れるタイムで登りきる。もっともランスがドーピングを行っていたことは周知の事実のため、ランスより遅いからといってそれが2人の優劣をさだめるものではない。フルームがクリーンであることを信じるならば、このタイム差はむしろその逆を意味するだろう。
 フルームは少し遅れて登ってきたチームメイトのリッチー・ポートと自分たちのタイムを喜びながら、自分たちの競技に深い影を落としたドーピングと、2013年のツールを迎える自分たちの様子についてこのように語る。

 僕たちはこのタイムのことを誰にも言うつもりはなかった。言うことで過去の亡霊を呼び覚ましたくなかったからだ。
 僕はリッチーのほうを向いて言った。
「このことは話せないな」
 僕たちはもうあの思いをしたくなかった。これまで何度も経験し、ついには痛みを通りこしてうんざりしていたからだ。
<よう、あの丘をパンターニよりも速く登ったらしいな。つまりお前は"有罪”ってわけだ
 もう憧れの存在などいらない。
 (中略)
 僕たちは幸せだった。自分たちがなにを成し遂げたかわかっていたし、それをみんなに言う必要性を感じなかった。そしてこのタイムは僕たちを鼓舞し、自信を与え、クリーンに乗ることに対する信念を深めさせた。
 リッチーが僕のほうを見て言った。
「準備は整ったな、俺たち。準備万端だ」
 それは2013年6月23日の日曜日のことだった。ツール・ド・フランスは6日後に迫っていた。


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(前半部分の感想です↓)

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