Ride 09: 志賀高原ロングライド(2014)
日時: 2014年10月25日
ルート: 高天ヶ原 ~ 野沢温泉スキー場 ~ 高天ヶ原
距離: 約115km
道の楽しさ: A+
<ルート雑感>
長野県の志賀高原で開催された第一回「志賀高原ロングライド」。
標高1640mの地点(高天ヶ原)からスタートし、標高600mの野沢温泉スキー場まで下りて折り返しとなる。後半は前半のルートをひたすら登り返し、高天ヶ原まで戻ってゴール。
前半下り、後半登り、というわかりやすいルートで、後半はけっこうきつかったけれど、それだけに終わったときは達成感があった。また全行程で信号はひとつもなく、大自然の中をひたすら走れるというのも魅力。
第一回ということで参加人数はそれほど多くなかったが、ボランティアスタッフの方々も皆親切で、エイドでは現地の特産物なども食べることができ、ポイントによっては見事な紅葉も楽しめる素敵なイベントだった。
高原を走る、という趣旨に引かれて申し込んだ「志賀高原ロングライド」。
第一回ということで情報が少なく、コース図を見るとなかなか登りがきつそう。
スタートは早朝だったので、前日に現地入りして受付をすることに。
スタート地点となる志賀高原の高天ヶ原。周辺にはスキー場とホテルが集まっており、その中のホテルのひとつが受付会場となっていた。
現地に着くと、すでに自転車を積んだ車がたくさん集まっていた。
一緒に行った友人と共にそれぞれの自転車を組み立て、辺りを少し試走。
標高が高いのでやはり寒い。
スタート地点。
前日説明会に参加。
コース説明や、その他の注意事項などを聞く。今回が初開
ゲストライダーとして来られていたイナーメ山形の選手と中畑清監督によるトークや、じゃんけん大会などもあった。監督の話が面白く、終始なごやかな雰囲気。
翌日の朝5時半に再び会場入り。スタートは朝の6時から。
自転車のセッティングなどをしていたら出走時間となり、
参加者は見たところ200~250名くらい(?)。
初開催ということもあり、知名度はまだまだとい
やる気満々のガチガチの装備の人もいれば、クロスバイク
コースは
「長坂フォンド(115km)」
「上ノ平フォンド(85km)」
「カヤの平フォンド(50km)」
の3種類が用意されており、自分は長坂フォンドに参加。
スタート地点の標高は約1600m。気温が0度まで下が
空が白んでくる中、西の方角に雪をまとった山脈が見えて
6時になり、いよいよスタート!
コースの前半は下り基調。
この日のために防寒ウェアを揃えておいたが、それでも走り出してスピードが出ると一気に寒くなり、指先と足先
ちょいちょいっと抜いたり、抜かれたりしながら進んでい
スタート地点周辺は冬景色。
標高が下がるにつれて秋に戻っていった。
「カヤの平高原キャンプ場」にある最初のエイドステーションに到着。
ここで約24km。
気温も少しずつ上がり始め、身体が少しずつあったまって
りんごがとても美味しかった。
補給を終え、出発。
気温は低いが空は真っ青に晴れ渡り、澄みきった空気が心地いい。
山沿いの道を走っていく。いい眺め。
スタート地点と折り返し地点を除けばコース全体的に人家
115キロの行程で信号はひとつもなしという贅沢コース
43km地点にある第2エイドステーション。
野沢菜やまんじゅうなどをいただいた。
この第2エイドから折り返し地点となる野沢温泉スキー場までのポイントが、一番勾配の急な坂となり、この区間だけはグループに分かれ、先導者がついての集団走行となった。
自分のペースで走れないのはやや残念だったが、走ってみるとカーブが結構急で、数は少ないが対向車なども来ることがあるので、慣れない走者などがカーブでふくらんだりする危険を抑えるためには仕方ない措置かなと思った。第一回ということもあり、とにかく安全に気を使っている印象。先導はゲストライダーとして参加されていたイナーメ山形の選手が行ってくれた。
折り返し地点となる野沢温泉スキー場に到着。
1000mくらい下ってきたので、スタート地点に比べると大分暖か
ここからゴールまで下りてきた道を登りなおすので
補給やトイレ休憩をして、10時前に出発。
本格的な登りの始まり。
先頭集団はものすごい勢いで登っていったが、自分は後ろ
このあたりは紅葉していて見事な秋景色。
路面状況は最高で、デコボコもほとんどなく、本当に走り
これだけの長さのコースを掃除するのだから、大変だったに違
68km地点にある第3エイドに到着。
芝生に座っておやきをいただく。野沢菜が美味しい。
こんな風に乗りながら写真バシバシ撮ってる出場者は…自
紅葉のグラデーションが見事。
90km地点にある最後のエイドステーションに到着。
ゴールまであと少し。
午後2時過ぎにゴール!
ゴール後にいただいたきのこ汁。
これがとにかく美味しかった。
思っていたよりタフなコースだったけれど、天気も景色も
平均時速。
獲得標高は2200mくらい。
最高時速。
走行時間(エイドステーションなどでの休憩時間をのぞく
6時スタートで14時ゴールだから、相当な時間
志賀高原のマスコットキャラクターの「おこみん」が来て
おこみんは、けっこう可愛い。
いいイベントでした。
(ちなみにこの翌年は参加者から「寒すぎる」との意見がよせられたこともあり、9月上旬の開催となりました)
続・クリス・フルームの自伝 ~ウィギンスとチームスカイ~
数か月前に読み始めたクリス・フルームの自伝(The Climb)が、まだ最後まで読み終わらない。ただ、ようやく終盤までは来た。
時間がかかってしまっている理由はいくつかあるのだけれど、その最大の原因はあるときからページがなかなか進まなくなってしまったことだ。
アフリカ時代を語っていたときは無邪気さとおおらかさを感じさせていたフルームだが、ヨーロッパのレースで少しずつ実績を残し、やがてチームスカイへと加入すると、次第にその自我とプライドを言葉の端々ににじませるようになる。
とりわけチームのエースであるブラッドリー・ウィギンスに対する嫉妬ともとれるような言及は執拗なほどであり、正直読んでいてきつくなることが度々あった。
なぜブラッドだけが……なぜ皆俺を認めてくれない……
思うように結果が出ない中でも、トレーニング時にはじき出したタイムやワット数などによって自分の力に自信を得たフルームは、自分はエースであるウィギンスに劣ることのない力を持っていると信じるようになる。
自分が認められないフラストレーションはチームスカイのフロントにも向けられ、ウィギンス中心で組み立てられているチーム体系を彼は次のような言葉で語る。
……チームスカイではほとんどのことがうまくいっていたが、最初に立てられたプランはどこまでいっても変わることはなかった。特にそれがブラッドが絡んだプランならなおさらだった。彼はチームの上層部にいる人々との付き合いが長く、彼らとの間に友情を築いていた。つまりそういうことなのだ。
さらにフルームのキャリアにとって大きな転機となったブエルタ・ア・エスパーニャでのリーダージャージ獲得の翌日、彼はさらにはっきりとチームの方針に対する疑義を言葉にしていく。
レース前に行われたチームミーティングの中で、スタッフは前日のタイムトライアルにおけるフルームの走りについて次のように言及する。
「まったく最高の状態だな。総合順位の1位と3位にチームスカイのメンバーが入っているなんて。クリス、素晴らしいライドだったな! お前のどこにそんな力があったのか知らないが、とにかくお前はリーダージャージを手にした。大したもんだ」
みんなが小さく笑い、僕も笑った。
さらにミーティングは次のように進んでいく。
「それでは今日のステージの話に入ろう。このコースではこの区間に登りがある。いつも通りチームで集団の先頭を走れ。登りに入ったらまずシャビが引き、続いてトーマス、ダリオ、モリス、それからフルーミー*、そして最後にブラッドだ」
僕はなにも言わなかった。ただ一瞬思考が停まり、それからこのように考えた。
待ってくれ、順番が逆じゃないのか? ブラッド、それからフルーミーの間違いじゃないのか?
違うのか?
なるほど。僕はブラッドのためにここにおり、それがチームスカイというわけだ。これがあるべき姿ってわけだ。リーダージャージを着ているのは僕でも、状況はなにも変わっちゃいなかった。サンチョ・パンサは身の程をわきまえろということだ。
*フルーミー=フルームのチーム内でのあだ名
自転車ロードレースでは風の抵抗を激しく受ける。
風を受けて先頭を走る選手が100パーセントの力で走るとしたら、その後ろについて走る選手は70パーセントほどの力でついていくことが可能だとも言われている。
もちろんこの比率は平地や登り坂によって変わるのだが、後ろについている選手のほうが力をセーブできることに変わりはない。だからチームの中にはアシストまたはドメスティックと呼ばれる選手たちがおり、率先して風除けになることでもっとも力があるとされているエースをレースの終盤までできる限り風の抵抗から守ろうとする。アシストたちにはもともと勝つことが求められていない。とにかく自分の力が尽きるまで一生懸命前で引くことが彼らの使命なのだ。
エースはそういう意味では楽ができるとも言えるが、しっかり力を蓄えて最後で勝利または上位タイムをもぎ取らなければならないので、その責任は誰よりも大きい。自分の順位を犠牲にしたアシストたちに、チームとしての結果をもたらすことのできないエースは、遅かれ早かれエースとしての信頼を失うことになるからだ。
ミーティングにおいてスタッフが発した選手の順番は、多少の前後はあるものの大まかにおいてチーム内でのヒエラルキーを意味している。まずシャビ(シャビエル・サンディオ)が先頭で風を受けて仲間を引き、ウィギンスは最後に控える。つまりチームが一番大事にすべき選手はウィギンスであり、フルームはその次、ということになる。リーダージャージを着て総合順位のトップにいるのは自分なのに、なぜ自分が最後でないのか、フルームが苛立ったのはそういうことだった。
「どこにそんな力があったのか知らないが……」というスタッフの言葉からは、この時点でチームがフルームの力を信用しきっていないことがうかがえる。昨日はたまたまいい走りをしたが、いずれボロが出て順位を落とすだろう。そんな不安定な選手のためにアシストを使い、ウィギンスを犠牲にすることはない……チームの見解としてはきっとそんなところだったのだろう。
結局このブエルタでフルームはウィギンスのアシストという立場を守り、総合順位をひとつ落として2位で全21ステージを終える。優勝したのはスペインのコーボであり、フルームのアシストを受けたウィギンスは順位を上げることができず3位に終わった。
このブエルタにおけるチームスカイの戦略はベストであったかは別にしても、妥当なものではあったように思う。ウィギンスに比べるとフルームには大レースにおける実績がほとんどなく、ものすごくいい走りをしたかと思えば、次の日に大失速して戦線から離脱していくといったことを繰り返していた。そのことはフルーム自身も認めており、これ以前のレースの描写ではどういうわけか自分には好不調の波が激しい、といったことを語っている。このミーティング前後で語られる、フルームの周囲にいる人々の描写を読んでいても、フルームがブエルタで総合優勝できる可能性があると本気で考えていたのは、(彼の家族などを抜きにすれば)あるいはフルームだけだったのではないかという印象を受ける。
信頼とは徐々に作られていくものだ。結果を出すことで少しずつ、周囲の見方が自然に変わっていくものであり、自分から他者に強制するものではない。ウィギンスにはそれまでのレースで築いた信頼があり、フルームにはなかった。確かにフルームにはこの2011年のブエルタに勝利する可能性があったかもしれないし、あるいはチームスカイはその勝利に向かう道を見誤ったかもしれない。しかしそれはあとから言えることでもあって、自分を認めないチームやウィギンスに対する彼の恨み節は、やや行き過ぎているように感じた。
ただこの翌年の2012年のツール・ド・フランスに関して言えば、多少その受け取り方も複雑なものになる。
ブエルタで総合2位という実績を手にしたフルームは、サクソバンクやガーミン、アスタナといった名門チームへの移籍も検討するが、結局はチームスカイに残る道を選択する。フルームの言葉によれば、これらのチームへ移籍しなかった理由は言葉の壁(アスタナ=チームの母体言語がロシア語)と、ドーピングに対する警戒心(サクソバンク=オーナーであるビャルヌ・リースが現役時代にドーピングに染まっていた)などが大きかったという。
チームスカイと2012年の契約を結ぶ際に、フルームはチームがウィギンスとフルームの2枚看板で行くことを了承したと言う。
チームオーナーのデヴィッド・ブレイスルフォードとかわした会話を、フルームはこのように回想する。
僕が覚えているのは彼がこう言っていたということだ。
「もし君がチームに残るのであれば、基本的に我々は君のツール・ド・フランス出場と、総合順位を争って走れる立場を保証する」
あとになって考えてみれば、デヴィッドはうまいように言ったものだと思う。僕は彼が僕のツール・ド・フランス出場を許可し、勝ちにいってもいいと言ってくれたものだと思った。しかし彼はそうはっきりと言ったわけではなかった。代わりに彼は2人の男が総合順位を目指して走り、1人が正リーダー、そしてもう1人がそのバックアップとして走ると言ったのだ。そしてもし正リーダーに何かがあれば、2人目の男がその役割を引き継ぐと。
ならばこの「何かがあれば」とは、いったいどんな場合を指すのか?
ウィギンスが落車してリタイアした場合を指すのか、それとも調子が上がらず順位を大きく落とした場合を指すのか。
たとえば重要な局面でウィギンスの足がなくなって遅れた場合は、その「何か」ではないのか?
ブレイスルフォードのこの曖昧な約束と、フルームの希望を含んだ思い込みが、将来的にフルームのフラストレーションをさらにかきたてることとなる。
2012年のツール・ド・フランスで、僕にとって、いやおそらく多くのサイクルロードレースファンにとって強く印象に残っているシーンがある。
それはある山岳ステージで、フルームとウィギンスが先行する選手を2人で追っている局面だった。きつい勾配の坂道をフルームが前を走ってウィギンスを引き、フルームは何度もウィギンスのほうを振り返っては、彼を鼓舞するように言葉を発している。
<カモン、ブラッド! 力を振り絞ってついてこい!>
そんなことを言っているように見えた。
ウィギンスはポーカーフェースを貫いていたが、かなり疲労していることがうかがえた。それに対しフルームは自分には力が有り余っているとでも言うように、きびきびと体を揺らしながら登っていく。そしていささか大袈裟にも見えるジェスチャーを混ぜながらウィギンスに声をかけ続ける。それはまるで、俺はまだまだ元気だぞ、一体エースはどっちだ、そう表現しているようにも見えた。
僕はその様子を映像で見たとき、フルームというのはあまり性格のいい男ではなさそうだな、と思った。ウィギンスを励ますのであれば、静かに声をかければよいだけであって、これではまるでエースが疲れていることを強調し、彼に恥をかかせているようなものではないか。これはフルームの外に向けたアピールだろうと、そのように感じたのだ。僕のフルームに対するイメージの根本はこのときに作られたといっていい。
しかし本を読んでいくと、このときのフルームの行動を引き起こす種が、契約の時点ですでにまかれていたことがわかる。
ブレイスルフォードとかわした会話によって、自分が2012年のツール・ド・フランスを獲りにいく資格を得たと信じていたフルームは、やがて実際の状況が自分の想定と違っていることに気づき始める。
世界選手権が終わって数日がたった頃、ブラッドが来年のツールを勝ちにいくという、自分の決意表明を発表した。そのことを聞いたとき僕はトレーニングの最中だったが、すぐに兄のジョノが電話してきた。
「ブラッドリー・ウィギンスはいったいなにを考えているんだ? ブレイスルフォードはお前もツールを勝ちにいっていいと同意したんじゃなかったのか? ブラッドはまるで自分だけがチームスカイの中でツールを狙う選手であるかのように語っていたぞ」
ジョノは腹を立てており、僕も腹を立てていた。確かにブラッドは自分こそがツールを狙うチームスカイのリーダーであるかのように話していた。僕はデヴィッドに電話をかけた。
「話したことと違うじゃないか。僕にもツールを狙う資格があると同意し合ったじゃないか」
「ああ、わかっているさ。こいつは君のツール勝利への道を妨げるものじゃない。前にも説明した通り、我々は2本柱で総合順位を狙う。プランAがうまくいかなかったらプランBというわけさ」
こうしたやり取りを経て、ウィギンスとの間には明らかな溝ができていったことをフルームは隠さない。
……ブラッドもまたミランにいた。もともと僕らはそれほど親しいわけではなかったが、以前には存在しなかった緊張がお互いの間に生まれていた。
今では僕らは、お互いを戦う相手として意識するに足る理由を持つようになったのだ。
契約のインクも乾ききらぬうちに、僕は自分のポジションに確信を持てなくなっていた。サラリーの面では素晴らしい条件を得ることができたが、チームはそのことで僕がすっかり満足していると思っているように感じられた。なんでも好きなことを望むがいいさ、フルーミー。それがブラッドの望まないことでない限りはな……と。
フルームは現在もチームスカイに所属している。
こんなに書いてチームとの関係は大丈夫だったのだろうかと心配にもなるが、この後もフルームのウィギンスとチームに対する恨み節は続いていく。
ただ彼はウィギンスのことを人間としてはそれほど嫌っていなかったようにも思える。時折語られる彼のウィギンスに関する人物評の中では、ウィギンスのユーモラスな面なども語られ、それは読む者にウィギンスの魅力と頭の良さを感じさせる。ウィギンスはものすごく無口な男だった(あるいは少なくともフルームに対しては)ようで、心のうちをさらけ出して話し合うといったことをまずしないタイプだったため、それが2人の溝を拡大させていったところもあるのかもしれない。このあたりはウィギンスから見たフルーム評も読んでみたい。
結果的に2012年のツール・ド・フランスはフルームの希望とは裏腹に、ウィギンスをエースとした体制で進んでいく。それに対しフルームはことあるごとに不満をもらし、山岳ステージとなった第11ステージではウィギンスを後方に置き去りにしてゴールしたりと、マスコミやファンの間に彼らの確執を憶測させるような話題を振りまいていく。
チームスタッフやオーナーにその行動をとがめられ、気まずくなっていくチームの空気の中で不満を抱えながらアシストの役割を行い続けるフルームだったが、ステージ間の休息日にウィギンスとの間でこんな出来事が発生する。
僕らはいつも通りチームで休息日のライドに出かけた。妙な雰囲気だった。そこには高揚感もなく、僕らが成し遂げつつあることに対する達成感もなかった。
ただあるとき、ブラッドと一緒に並んで走る時間があった。そのとき彼は僕のほうを見て、こう言ったのだ。
「いいか、フルーミー。心配することはない。お前の番は必ず来る。俺たちは来年もここに戻り、そのときは俺たちみんながお前のために走ることになる」
僕は彼のほうをちらりと見た。俺はこんな経験は二度としたくないと、彼はそう言っているようにも見えた。(中略)僕は彼の言葉に感謝した。それは普段のブラッドなら言わないような言葉だった。
ウィギンスがこの言葉を本心から言ったのか、自分のツール制覇をかき乱すフルームを抑えるために行った空約束だったのか、本当のところはわからない。おそらく本当のところは本人にしかわからないだろう。フルームが様々な思いを抱えてツールを走っていたように、ウィギンスにもいろいろと思うところはあったはずだ。
2012年のツール・ド・フランスは、ブラッドリー・ウィギンスが英国人として初のツール・ド・フランス制覇という偉業を成し遂げ、ウィギンスは英国の英雄となった。
フルームは全体的に見ればアシストとしての役割を果たしたといってよく、ウィギンスに続く総合2位でツール・ド・フランスを終えた。
そしてフルームにとって運命の年となる、2013年のツール・ド・フランスがやってくる。とはいえ、この先はまだ読んでいない。
途中の恨み節を読むのがつらくて何度か中断したりしていたが、今はこのまま最後まで読み切り、フルームに対してポジティブな気持ちを持って読了できることを願っている。
ツールの前月となる6月、フルームはランス・アームストロングが登坂トレーニングを行っていたことで有名なコル・デ・ラ・マドンというフランスの山に行き、ランスが打ち立てた登坂レコードである29分33秒に36秒遅れるタイムで登りきる。もっともランスがドーピングを行っていたことは周知の事実のため、ランスより遅いからといってそれが2人の優劣をさだめるものではない。フルームがクリーンであることを信じるならば、このタイム差はむしろその逆を意味するだろう。
フルームは少し遅れて登ってきたチームメイトのリッチー・ポートと自分たちのタイムを喜びながら、自分たちの競技に深い影を落としたドーピングと、2013年のツールを迎える自分たちの様子についてこのように語る。
僕たちはこのタイムのことを誰にも言うつもりはなかった。言うことで過去の亡霊を呼び覚ましたくなかったからだ。
僕はリッチーのほうを向いて言った。
「このことは話せないな」
僕たちはもうあの思いをしたくなかった。これまで何度も経験し、ついには痛みを通りこしてうんざりしていたからだ。
<よう、あの丘をパンターニよりも速く登ったらしいな。つまりお前は"有罪”ってわけだ>
もう憧れの存在などいらない。
(中略)
僕たちは幸せだった。自分たちがなにを成し遂げたかわかっていたし、それをみんなに言う必要性を感じなかった。そしてこのタイムは僕たちを鼓舞し、自信を与え、クリーンに乗ることに対する信念を深めさせた。
リッチーが僕のほうを見て言った。
「準備は整ったな、俺たち。準備万端だ」
それは2013年6月23日の日曜日のことだった。ツール・ド・フランスは6日後に迫っていた。
(前半部分の感想です↓)
Ride 08: ヤビツ峠サイクリング
日時: 2014年8月21日
ルート: 百合ヶ丘 ~ 秦野 ~ ヤビツ峠 ~ 宮ヶ瀬 ~ 百合ヶ丘
距離: 約117km
<ルート概要>
ヒルクライムのトレーニングコースとしてサイクリストの間で有名な「ヤビツ峠」まで、自宅から自走。
すでに車が多い。津久井道は道が狭くて車が多いので極力走りたくない道なのだが、町田方面に行くとなるとやはりこの道になってしまう。
鶴川の先で津久井道から鶴川街道へと折れ、
町田を通過。
この時点で8時前。
途中住宅街に迷い込んだりしながらも、
東林間に到着。行きのルートは基本的に小田急線につかず離れずといった感じ。
東林間を抜けたあたりからようやく道が走りやすくなってきた。
前方右手に大山が見える。今日目指すヤビツ峠はその向こう側。
ローソンで朝食兼コーヒーブレイク。この日はとても暑く、気温も35度くらいまで上がった。アイスコーヒーがうまい。
ヤビツ峠に行くには国道246を使うのが一番シンプルで速いのだが、246は自転車で走るにはとにかく嫌な道なので、可能な限り使わないルートを模索した。
本厚木の先からは東名高速を左手に沿うような形で走ったが、この道が車も少なく静かでとても走りやすかった。
左手は東名高速。
高速沿いの静かな道をしばらく走り、鶴巻温泉近くで246に合流。ここから秦野までは246を使うしかなさそうだった。
246は予想通り楽しい道ではなかったが、大分距離を稼いだおかげですぐに秦野に着くことができた。
看板にヤビツ峠の文字が。ついに来たーと心中うなる。
246とヤビツ峠へ至る道が交叉する「名古木」という交差点。
ヤビツ峠はサイクリストたちが頂上までの登坂タイムを競う場所としても知られていて、その場合この名古木の交差点をスタート地点とする人が多いらしい。
<名古木からヤビツ峠の頂点までの距離は約12km。標高にして660mほどを登る>
交差点の先にあったコンビニで休憩したのち、峠道に挑む。
住宅街からすでに登りが始まった。
結構勾配がある。
ほどなくして山道へ。
初めてで距離感がわからないのでゆっくり登っていった。そのせいもあってか、全体的な勾配はそこまできついものには感じなかった。
ただ人気スポットらしく、登っている最中はサイクリストやランナーなどとしばしばすれ違った。車はそれほど通っていなかったので、汗をしたたらせながらひと踏みひと踏みゆっくり登っていく。
途中こんな展望台もあった。
さらに登っていくと、
ヤビツ峠の頂点に到着。
マイペースで行ったので無難に登りきったという感じ。しかし気温35度くらいの暑さだったので大量に汗をかいた。うろ覚えだけれど時間は確か50分くらいかかったように思う。速いひとは30分くらいで登ってしまうらしい。
汗だくの状態で自販機でジュースを買い、石段に腰を下ろ
しばらくするともうひとり大柄な西洋人が登ってきて
しばし休んだのち、今度は登ってきた方(秦野側)とは反対方向(宮ヶ瀬側)に下りていった。
宮ヶ瀬側は風景がきれいだった。
宮ヶ瀬湖。
見下ろすと、使われなくなった道が見えた。
ダムの作成によって宮ヶ瀬湖ができたのは1998年。そ
宮ヶ瀬湖の湖畔にあった公園。売店などもあり、ちょっとした賑わいがあった。
昼も過ぎてすっかり腹が減っていたので、ここで昼食を取
夏なのだ。
湖に沈んだ集落への思いが刻まれた碑が立っていた。
公園内は猫がたくさん。
公園内で大分のんびりしてしまった。
そろそろ家の方向に向かうことにする。
橋本駅に到着。
橋本の住宅街を走っている間に日が暮れてきた。
このあたりで走行距離が100キロ。
さらに少しこぎ、京王線の多摩境駅近くにあるスターバックスに到着。普段からたまに来る場所で、テラスが
ここまでくれば半分地元のようなもの。燃焼感と安心感に
この後、尾根幹道路を走り、夜8時頃に家に到着。
(走り終えて)
心地よい燃焼感のあるライドだった。ヤビツまでの道は246をいかにかわすか、というのが課題で、走りながらなんとなく選んでいったルートだったが、結果的に悪くはないルートだったように思う。走っていていまいちだった区間は最初の津久井道で、よかった区間は厚木の先から246合流までの東名高速道路沿いの道。
ヤビツ~宮ヶ瀬あたりはとてもよかった。車もそれほど多くないし、宮ヶ瀬のあたりは景色もいい。もう少しヤビツへのアクセスが快適にできれば、何度も行きたい場所だと思った。
陣馬山トレイルレース(2015年11月8日)
11月8日に開催されたトレイルランイベント「陣馬山トレイルレース」に参加してきました。
神奈川県・山梨県東部トレイルラン連絡協議会オフィシャルサイト:第15回 陣馬山トレイルレース
舗装道路を走るランニングイベントはいくつか出場したことがあるものの、トレイルを走るイベントはこれが初。なのでペース配分や、山道を走ることによる脚への負荷など、想像がつかないことが多かったので、とりあえずトレラン初心者にもお勧めと書かれていた「陣馬山トレイルレース」に出てみることに。
(エントリーしたら送られてきた地図)
距離は23.5kmと、トレランにしては短いほう。
事前のトレーニングは… ヒザの調子があまりよくなかったこともあり大してできず。
<10月のトレーニング>
走った日:3日 総距離:19.6km
自転車に乗った日:5日 総距離:248km
と、練習不足は否めない内容。11月に入ってからはこの8日のイベントまでなにもしませんでした。
自転車のほうがヒザへの負担が少ない気がしたので、上り坂を極力ダンシングで登るようにしたりと、効果があるんだかないんだかわからないことをたまにやりつつ、この日を迎えることに。
コースは相模湖の北側にある山中で、最寄の駅はJR中央線の藤野駅。
手作り感のにじみ出るような小規模なイベントを勝手に想像していたら、どうやら結構長く続いている伝統あるイベントのようで、スタート・ゴール地点には出店なども結構出ていて、運営などもしっかりしている印象。
参加者も300人くらいかな?と思っていたら1200人もいてびっくり(自分がちゃんと調べていなかっただけなのですが)。
当日の天候は雨でした。
弱まることはあるものの、しとしと、さあさあ、と確実に降り続けており、「足元がぬかるんで危ないので、ムリな追い抜きなどは控えるように」との注意がスタート前にされる。
自分はトレラン初めてなので、ペースもまったくわからないし、とりあえず後ろからついて様子を見ようと最後尾からスタート。
まずはこの青線の区間を走る(地図は公式サイトのものです)。
自分の中で「A区画」と名づけ、一番のポイントになるのではないかと思っていたスタートから陣馬山山頂までの登り。
事前に地図を見た際に、この最初の登りが一番傾斜がきつそうだと思ったので、この登りをはたしてどういうペースで行くべきだろうかと思っていました。
あんまり傾斜がきついようだったら、ここは開き直って歩き、その後の下りと後半の登りに足を使うべきか…
などといろいろ考えていたものの、結果的にこのA区画の大部分は歩くことになりました。それはやはり傾斜がそれなりにきつかったからというのもあるのですが、そもそも道が人で渋滞してあまり走ることができなかったからです。
1200人の参加者がそれなりの勾配の登山道に突っ込むわけなので、そりゃ渋滞もするよなあという感じです。道は追い抜きがまったくできないわけではないものの、スタート直後で人が固まっているのと、道がぬかるんでいるということもあり、ほとんどの人は前の人に合わせて黙々と進んでいく、といった状況。
それにみんなちょっとした傾斜になるとわりとすぐ歩く(先頭のほうにいた人たちは、きっとそうではなかったと思いますが)。なので最初の登りでツワモノトレランナーたちに置いてきぼりにされるのでは?などと想像もしていた自分はやや拍子抜けすると同時に安心。
こうした展開は最後尾からのスタートを選んだことも関係しているかと思いますが、自分も自信があったわけではないので、むしろじっくりウォームアップができていいやと、前の人について焦らず登っていくことに。
<服装&装備>
・Tシャツ&短パン
・Nikeのランニングシューズ(クッションありの普通のシューズ)
・自転車用のウィンドブレーカー(登りは暑いので脱いで、下る際に着る感じとなった。状況によっては結構冷えるので上着はあってよかったと感じた)
・リュック(トレラン用とかでなく、家にあった普通の小さなリュック)
・500mmのポカリスウェット1本 >給水があったこともあり、半分ほどだけ消費
・小さなスニッカーズ2つ >二つ目の登りの途中に1個消費
・水なしで飲めるVAAMの粉末1本 >二つ目の登りの前に消費
・ウィダーインゼリー的なもの1つ >二つ目の登りの途中に消費
<携帯した水分について>
飲み物はポカリと水と500mmを1本ずつ買っていったが、雨が降っているという状況を見て、スタート直前にポカリ1本で行くことに。最初の登りは歩きながらも結構汗をかいたので失敗したかなと思ったものの、結果的にのどの渇きは給水(2箇所)でほとんどカバーできた。ただいろんな状況に備えてやはり2本くらいは持っておいたほうが安心かなと思った。
<エイドステーションについて>
トレランは補給食や飲み物など必要なものはリュックなどを使って携行するイメージ があったが、この陣馬山では結果的 に2箇所小さなエイドステーションが設けられており、第一エイド(11.92km)では水とバナナ、第二エイド(19.19km)では水の補給をすることができた(スポーツドリンクなどはなし)。
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徒歩の中にたまにランが混ざりつつ、やがて陣馬山の山頂(857m)に到着。
見晴らしのよい場所で、晴れていればかなりよい景色が見れるのではないかという場所でした。山頂は吹きさらしなので体感温度が一気に下がり、脱いでいたウィンドブレーカーを再び着込む。
ちなみにここでスタートから約7kmなのですが、この7kmを進むのに確か1時間半くらいかかりました。タイム制限は4時間半なので、時計を見てこのペースで大丈夫かなと思った記憶があります。
そしてここから第一エイドまで一気に下り。
相変わらず人は多いものの、徐々にばらけ始めてはいました。また下りで全体的にスピードも出ているのでこれ以降は渋滞することもなかったです。
登りは足をそれほど使わなかったので、調子に乗って下りを飛ばしていたら、後半でももの筋肉が疲労し始めました。考えてみれば5km近くの距離をひたすら走って下るという経験は初めてかもしれず、気づいたら結構脚にきていて、これは実は下りのほうが曲者かも…と思い始めました。そしてこのままだとマズイかも、速度落とすかな、と思い始めた頃に下りが終わり、第一エイドに到着。
エイドで水とバナナをもらい、ちょっと休憩。
下りが思ったより脚に来たので、ペースを仕切りなおし、ゆっくりと二つ目の登りへ。
この二つ目の登り区間はアスファルト区間となり、車が走れるような山道を登っていくこととなります。よって道の幅は広く、追い抜きも気兼ねなくできます。よってタイムの向上を目指すのであれば、ここが一番差をつけやすい(=勝負所)区間なのではないかと思いました。
地図で見ても傾斜はやや緩めに見えたので、ここは走り抜ける区間かなと想像していたのですが、周りを見ると歩いている人のほうが圧倒的に多かったです。結果的に自分は走り70%、歩き30%くらいの割合で通過し、走りを混ぜたことで結構人を抜くこととなりました。
2つ目の登りが終わったところに給水所があり、あとはゴールまで下るだけ。
下りで消耗した筋肉は登りでは大して使われなかったのか、この時点で脚はまだ結構元気があるように感じました。
この最後の区間、山道なので道は基本的に狭かったのですが、時々、前を走る人が道の脇にずれて脚をのばしたり、休んだりすることがあり、その度に追い抜いていくこととなりました。大分人もばらけているので、たまに1人追い抜いたあとにしばらく先に誰もいないことがあり、そうして山道を1人で駆けているという瞬間というのはなんとも気持ちがいいものでした。もっと距離の長いトレイルレースではこうした感覚がもっと頻繁に味わえるのかな、と想像し、また出てみたいという気持ちが生まれたように思います。
ある時から自分の前を走るようになったおじいさんがなかなか速くて、抜きたいんだが微妙に抜けない感じでぴったり後ろについて走っていたら、ふいに山道が終わり「残り1kmでーす!」とのスタッフの人の声が。
あれ、もう終わりなのか、ならダッシュだと、アスファルトになった道を速度を上げて走っていくと、ゴールテープ寸前で両ふくらはぎがビクビクッと動いてつりそうに。こんな人が集まってるところでつりたくない、と、スピードを抑えてなんとかゴール。やはりなんだかんだ脚にきていたようです。
ゴールタイムは3時間40分くらい。順位は1200人中の800番くらいでした。
今年走ったハーフマラソンのタイムが1時間40分くらいだったので、2時間くらい遅いことに(まあ比較するものでもないのでしょうが)。
山道が終わったときは余力を残してしまったかなと思ったけれど、ゴール後は気を抜くと脚がつりそうになる状態がしばらく治まらなかったから、今の自分のコンディションではこのへんが限界だったかもしれません。
ゴールした参加者全員にはすいとんが振舞われ、これがものすごく美味しかった。
初めて参加したトレイルレース、想像していた以上に面白かったです。トレランにはちょっと説明し難い魅力があるように感じました。
山は歩いて登る場所だろう、みたいな気持ち、どっかであったんですが、走ることによってエンドルフィンが出るせいなのか、周囲の空気と乱暴ながらもダイナミックに一体化するような爽快感があり、トレランにはまる人の気持ちというのが少しわかったような気がしました。
Ride 07: 山中湖サイクリング
日時: 2014年6月3日
ルート: 百合ヶ丘 ~ 尾根幹線道路 ~ 橋本 ~ 津久井湖 ~ 道志みち ~ 山中湖 ~ 山中湖一周
距離: 片道約89km(総走行距離約166km)
道の楽しさ: A-
<ルート雑感>
走りにくい世田谷通りは避け、「尾根幹」を使って橋本へ。やや回り道になるが、走りは比較的快適。
橋本~津久井湖間は結構ゴチャゴチャしていて、多少走りにくさもある。
「道志みち」に入るとストレスが大分減る。車もそこまで多くなく、山と川を見ながら気持ちのよい空気の中で走ることができる。
山中湖の周りの道はまあまあ。サイクリングロードは路面状況があまりよくなく、距離も短いので、大部分は車道を車と一緒に走る形。天気がよくて富士山が見えればまた印象は変わるかもしれない。
・まず橋本などの街を抜けつつ、神奈川西部にある津久井湖へ。
・そしてこの津久井湖の先からは「道志みち」という山間を走る一本の道が山中湖まで(50kmくらい)延びているので、ひたすらこれを走る。
・山中湖は標高1000メートルくらいのところにあるので、道志みちは基本的に登りとなるが、800mくらいを50kmかけて登るので(最後の峠をのぞけば)勾配はそこまでひどくない。
・山中湖についてからは湖の周りを一周
朝に家を出発し、尾根幹線道路を走って西に向かい、橋本駅へ。
ここから西に少し行ったところにある津久井湖を抜け、その先にある「道志みち」という道に入る。
道志みち。
最初のほうはフラットな道が続く。
山中湖までひたすら一本道。
道志みちは道志川という川の脇を走っているので、川沿いにはキャンプ場なども多い。
神奈川県から山梨県へと入る。
この日は3人でのライド。
ロードバイク2台(Raleigh & FELT)とTREKのクロスバイクという編成。
やがて登りが始まる。
登ったあとに下ってまた登る…といったポイントもあるが、全体的にはほぼ登り基調。
途中このようなつり橋や、
登山道の入口などもある。
木々に囲まれた自然溢れる道の中に、時折小さな集落が現れる。
平日に行ったこともあり、車はそれほど多くなく、ストレスは低め。
バイクでツーリングしている人たちが結構いた。
全体的に静かでのんびりした感じ。
道の駅などもある。
地図が南北逆になっているのでややわかりづらいが、この地図で言うと左から右上の山中湖に向かって走っている形となる。
のどかな集落などを抜けていくと、
最後の難関、山伏峠の登りが始まる。
ここは勾配も急で、しかもつづら折りではなくまっすぐの坂。
最後の1.3kmくらいがおそらく一番急で、平均斜度が9.5%くらい。
「ああ、坂の終わりが見えない…」というのはなかなか精神的にもキツかったりする。
しかしどうにか峠の頂上へ。
トンネルをくぐると、あとは山中湖まで5kmくらいひたすら下り。
下る途中にあったローソン(外にテーブルと椅子あり)で休憩したのち、ついに山中湖到着。
しかし…あいにくのこの天気。
目の前にドドーンとあるはずの富士山がどこにあるのかすらわからない状態。
湖の周りを一周できるようだったので走ってみた。
一周の距離は10kmくらい。
一部このようにサイクリングロードがあったりもするが、路面にひびが入っていたり、距離も短く、それほど走りやすいとは言えなかった。
富士山は見えないものの、これはこれで何か幻想的。
湖を一周した後は、再び道志みちを走って帰路へ。
帰りはほぼ下りだったので、行きの三分の一かそれよりも短い時間で津久井湖まで戻ることができた。
その後橋本を通って、帰宅。
この日の総走行距離。
走行時間。
平均時速。
道志みち、個人的にはかなり楽しめた。
景色もよく、車もそこまでは多くなく、一本道なので道順を気にすることなく何も考えずに走っていけるところもいい。
津久井湖に行くまでの道はあまり楽しくないけれど、今回富士山が見れなかったし機会があればまた走ってみたい。
この日のルート(動く地図):
Ride 06: 多摩湖自転車道 ~ 多摩湖一周サイクリング
日時: 2014年5月24日
ルート: 浜田山 ~ 多摩湖自転車道 ~ 多摩湖一周
距離: 片道約20km (多摩湖自転車道約10km、多摩湖の周り約10km)
道の楽しさ: B
<ルート雑感>
中央線武蔵境駅の北側にある「関前五丁目」という信号から、所沢の多摩湖まで「多摩湖自転車道」という道が続いている。
自転車道は非常によく整備されていて、緑も多くてとてもいい感じ。ただ散歩やジョギングをしていたり、駅までの移動ルートとして使用している人が多く、自由に走るにはやや窮屈さを感じるポイントも多い。
また所々車止めがあるので、その度に徐行する必要がある。スピードにこだわらず、ポダリング気分でのんびり走るには気持ちのよい道。
多摩湖にはその周りを一周できる道があるが、この道は路面状況がよくなく、湖もほとんど見えないので、やや期待はずれ。
所沢の西部ドームの横にある村山貯水池、通称「多摩湖」。
この湖まで続く約10kmほどのサイクリングロードがあるということを知り、走りにいってみた。
まずは家のある神奈川から京王線の浜田山駅まで自走し、そこで友人と合流。
そこから吉祥寺などを抜けながら北西方面に向かうと、「多摩湖自転車道」の入口がある。「関前五丁目」という信号が目印。
そこからはこのような道がまっすぐに続いている。
道はとてもきれいに整備されていて、両側には木々が生い茂っており、いい感じ。
へえーこんな場所があったのかと、小さく感動。緑に囲まれているために車の気配も感じず、隠されていた秘密の道を発見したような気分になる。
ただ数百メートルおきくらいにこのような車止めがあるため、定期的に徐行をしなくてはならない。道が走りやすいだけに少し残念。
またこの道を利用しているのはサイクリストだけでなく、このようにジョギングをしていたり、散歩をしていたりする人たちも多く、このように道が混雑する時も。
非常に気持ちのよい道なので、人気があるのも仕方がないか、という印象。
道からちょっと脇に入ったところにはカフェなどもあったりするので、途中で小休止などをしながら行くこともできる。
こんな風な道が、ひたすらまっすぐに10kmほど続いている。
都心にあって、これはなかなかのものではないだろうか。
ほどなくして多摩湖に到着。
多摩湖の周りにも一応サイクリングロードのような道があったので(途中途切れたりもする)一周走ってみた(一周約10km)。ただし道が狭い上に路面状況はよくなく、ア スファルトが割れていたりして、けっこうデコボコ。また湖の周りを走るといっても、湖は木々に囲まれていてほとんど見えるポイントがなかった。よって景色などはあまり楽しめない。
ただ多摩湖自転車は走れてよかった。純粋に自転車で走る道としては物足りなさはるものの、都心の喧騒に隠れるようにしてこのように長く整備されたサイクリングロードがあるという驚き、そして緑に包まれた道の美しさは行ってよかったと思えるものだった。
この日のルート(8.5km地点から始まる直線が「多摩湖自転車道」):
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Ride 05: 京都 ~ 琵琶湖一周サイクリング
日時: 2013年9月9日
ルート: 京都市内 ~ 琵琶湖~ 京都市内
距離: 215km(琵琶湖周辺だけだと約185km)
所要時間:約15時間(休憩含む)
道の楽しさ: A+
<ルート雑感>
京都市内から琵琶湖まではちょっとした小山を越えてゆく(約15kmの行程)のだが、結果的に全行程で最もアップダウンがきついのがこの京都から琵琶湖へと抜ける道となった。
琵琶湖に着いてからはフラット、フラット、フラット。湖の北側などにちょっとした登りはあったのものの、ほぼ全面フラットといってよく、サイクリングロードやそれに類似した走りやすい道が設置されているところが多いので、かなり走りやすかった。
湖西岸には車のプレッシャーを感じながら走らなくてはならないポイントがあったが、北側は景色が美しく、東側はちょっと感動してしまうくらい道が整備されていて、人気があるのも頷けるルートだった。
京都まで来たからにはやはりこの場所。
一周すると200km近くもある日本最大の湖。サイクリストにも人気のある場所らしい。現地の友人いわく、琵琶湖を自転車で一周することを「琵琶一(びわいち)」と言うのだとか。
ということでせっかくならこの「琵琶一」を達成してみたい、と挑戦してみることに。
朝5時に京都市内の友人宅を出発。
京都市内を走り抜け、
丘をふたつくらい越え、琵琶湖の大津港に到着。何気にこの市内から湖までの行程がまあまあきつかった。
大津から少し南下したところで近江大橋を渡り、琵琶湖の東岸へ。
琵琶湖を左手に見る形で走る。道はほぼ完全フラット。
しばらく北上すると、琵琶湖大橋という大きな橋が見えてくる。これより北は湖が広くなるせいか橋が一切かかっていないので、西側に渡るにはこれが最後のチャンスとなる。
しかし今回は琵琶湖一周が目的なので、橋は渡らずそのまま北上。
コンビニの入口に空気入れの貸し出しを伝える張り紙が。サイクリストが多いのだろうなあと感じる。
琵琶湖大橋を過ぎたところにあったコンビニで朝食。サイクリングコースになっているコンビニにはこうやって外にテーブルや椅子が設置されているところが多い気がする。
個人的にライドの最中にこうしたコンビニのテーブルでコーヒーを飲むのが至福の時。
朝食を取り、湖に沿ってさらに北上。
琵琶湖の東側の道は基本的にこんな感じで、車道からは独立した形で走り続けることができる。普段クルマにまみれる神奈川の道を走っている身としては「え、こんな快適でいいんですかー?」と言いたくなるくらい走りやすかった。
この日は天気も最高。サイクリングの喜びを十二分に堪能する日に。
湖畔にあったオシャレなカフェレストラン。
途中ちょっと湖から外れて森の中を通るポイントがあった。
コンビニにもバイクスタンドが。
たまにこうして湖岸からそれるときもあるものの、
大部分においてはこのように湖沿いを走ることができる。
やっぱり琵琶湖は広い。
この日は天気がよかったせいか対岸が見えた。
琵琶湖に着いてからすでに6時間ほど経過。
まだ東岸が終わらず、帰りは何時になるのやらと思い始め
多少ペースを上げつつ走り、
ようやく琵琶湖の東岸の終わりに到達。
琵琶湖の北岸側は「奥琵琶湖」と呼ばれ、琵琶湖の中でも一番美しい場所だと言われているらしい。
確かに綺麗。
北側はサイクリングロード的なものはなかったものの、それほど車は通らなかったのでのんびり景色を楽しみながら走ることができた。
いやー、琵琶湖はいい。
景色もそうだけど、道が走りやすいというのはサイクリストにとっては何よりの喜びなのだなと実感する。
琵琶湖の周辺はこのように休みながら湖を見れるスポットが
北岸が終わり西岸を走りはじめると、湖の中にこのような鳥居が出現。白髭神社、と言うらしい。
こういう風景に不意に出会えたりするのも、自転車旅の醍醐味だなと思う。
日本の風景は、やはりきれい。
琵琶湖も残すところあと4分の1くらい。太陽が沈み始め
午後7時過ぎ、琵琶湖スタート地点となった大津港に到着。
12時間くらいかかったけど、なんとか琵琶一達成!
このあと京都まで帰り、結果的に総距離約215km。一日に走った距離としてはロードバイクを買って以来最長となったものの、全体的に道が走りやすかったので快適に走りきることができた。
唯一難点を挙げるとすれば西側だが、東側と北側が文句のつけようがないくらい走りやすかったので、とにかくいいライドだったという印象。機会があればまた走りたい。
この日のルート:
(標高グラフを見ると琵琶湖がどれだけフラットか、よくわかると思います)